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人形劇と新聞記事に思うこと

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昨日、人形劇というものを初めて(覚えている限りでは…)
観に行きました。
演目は、井上ひさしさんの「父と暮らせば」です。

  
  
  
  
まずは、人形劇というものに感動しました。
一つの人形を、二人の役者が演じています。
人形を動かす役と、セリフを言う役とに別れたり
ときには二人で人形を動かしたり…。
  
  
  
表情も変わらない人形なのですが
まるで命があるように
意思があるように思えてくるのは
演じられている役者さんと
演出の素晴らしさなのでしょう。
  
  
  
これは言葉ではなかなか伝えられないので…
観た者だけが味わえる
独特の世界ではないかと思います。
  
  
  
さて、内容は広島に原爆が落とされたときのお話。
20代半ばの女性が
目の前で父親を亡くし、友人を亡くし…
「自分だけが幸せになってはいけない」
「なぜ私だけが生き残ってしまったんだろう」
  
  
  
そんな思いを抱えながら
それでも自ら命を絶つこともできずに
ひっそりと生きていきているなかで
亡くなったはずの父親とのやりとりを通して
(それが彼女の幻想なのか、現実なのかはわからないけれど)
  
  
  
「父が彼女に託した想い」
「残された人間としてどう生きていくのか」
を知るというお話です。
   
  
  
そんな劇を観た翌朝
新聞の朝刊にこんな記事が掲載されていました。
「16歳 がん余命告知」
  
  
  
中学一年のときにがんを発症し
治療を繰り返しながらも
今年の三月に17歳で永眠した男の子。
  
  
  
当時16歳の心に
余命の宣告はどんなにか重かったことでしょう。
それでも
「全部を伝えること」
を自ら希望したという彼。
「全部を知って闘いたい…」
と、言ったそうです。
  
  
  
余命を知った彼は
家族や友達との時間を大切にし
伝えたい人に手紙を書き
自分で治療を選択し
  
  
  
残された時間をどう生きるかを
自ら選択して過ごしたそうです。
  
  
  
自分に与えられた命のことを
まじまじと見つめる機会は
人それぞれだと思いますが
  
  
  
私の場合は
20代前半で、スノーボード事故で腰を折ったとき
しばらくの療養期間は要したけれど
それでも後遺症を抱えることもなく
健康な身体に戻ったとき
「ここに残された意味」を考えました。
  
  
  
心を患い、生きるのが苦しかったときは
そこを通り過ぎることができて
何気ないしあわせや自然のきらめきを
再び味わえるようになって
「生きること」を考えました。
  
  
  
私たちは、自分に与えられた時間をどう過ごすかを
自ら選択することができます。
  
  
  
何気なく過ぎていく毎日も
自分の意志で、自分の足で
一歩一歩選びながら、進んで行くことができます。
  
  
  
生きる時間を与えられていることが
選択肢を与えられていることが
ありがたいことであり
その与えられていることを大切に
日々を過ごしたいと
そう思った、人形劇と新聞記事でした。
  
  

Trackback(0) Comments(2) by yogini*kumi|2013-08-05 16:04

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