暴力的な暑さが続いています。
昨日は今年3度目の暑さのピークとか。各地で最高気温をマークしたようです。
こまごまとした用足しをするはずでしたが、玄関のドアを開けた途端に暑い空気に押し戻され、外へ出る気が起きませんでした。
これはもう宿題日和と諦めて、まだ何も夏の課題作品に手をつけていない◯えにムチを入れながら家にこもることを決意。
そしてワタシも夏の課題映画「いのちの食べかた」を観賞しました。
野菜や食肉などがどのように作られ加工されているかを、セリフ、音楽、説明などを一切排除して、淡々とした映像のみで伝えるドキュメンタリー作品です。
大量生産のラインの真実が描かれています。
目から入る情報以外に何もないので、じっと画面を見つめているしかありません。
この映像から何をどう受け止めるかは見る人にまかされています。
おびただしい量のトマト、キュウリ、小麦、レタス、牛、豚、鶏、魚。
すべては均一に、すべてはオートマチックに、すべては人の食べものとなるべく、育てられ、収穫され、頭を落とされ、皮を剥かれ、消費されていく。
植物に関しては完璧に工場の様相を呈し、大地の恵みなんて言葉は美しい幻想に思えてきます。家畜類の飼育や屠殺の場面は、さらに命を命とも思わないおぞましい行為に見えます。
でも、
地球の人口68億8725万人(ここへ1分毎に152人を、または1日で22万人を、あるいは1年で8千万人を足していってください)の食を満たすために、
いえ、実際にはそのなかのほんの何割かの富裕国の人々にしか回っていないのですが、それにしても膨大な数の人間の腹を満たすために、効率よく量産するための進化した形なのだと思います。
時折、食材の生産に従事している人の食事風景がはさみこまれます。人間てゴキブリ並にタフだなぁと思わせられる、ちょっと意地悪なカット割り。
とはいえ、作業服のままサンドイッチをパクつくその姿こそ、普段食事しているワタシ自身そのものなのでしょう。
個人的には、機械的に屠殺処理をするかドナドナでも流しながら涙ながらに首を絞めるか、どちらも結局は同じこと、問題なのは食べる瞬間だと思いました。
この食事の材料がどこでどのように作られたか、誰がどのような思いで調理したか、そういうことに思いを至らせてから口へ運ぼうとするとき、「いただきます」の言葉がただの号令ではなく、本来の意味を持つのだろうと。
真実を知るという点で、ワタシのこれから先の「いただきます」のために有益な作品でした。
ひとつしっくりこないのが、映画のタイトルです。「いのちの食べかた」という感じはしません。この邦題故に見るのをためらう人もいそうです。
原題は「OUR DAILY BREAD」、単純に「日々の食べもの」の方が、すとんと腹に落ちそうな気がします。
公開時期に見逃して以来いつか見なくてはと思っていました。
そのことを改めて思い出させてくれた ema さん、DVDを提供してくれた K野さん、ありがとうございました。
ご覧になりたい方はご一報を
*お越しいただきありがとうございます*
↑↑こちらもポチッとおねがいします
» Tags:いのちの食べかた,
Trackback(0) Comments(2) by Yamepi|2010-08-17 22:10
「ゆたり」は時の広告社の登録商標です。
(登録第5290824号)