先日、妻が農家からポリ袋一杯の人参をいただいてきた。
裏山に捨てられてしまう、甘くて立派な人参たち。
今夜のメニュは、鶏と豚挽肉にえのき和えに人参スープ。
デザートは人参ジャムのヨーグルト。
味の方は、超一流のフレンチ・レストランを超えたかな・・・?
一緒に食した時の広告社スタッフの皆さんからも
「美味しい!」のひと声を聞くことができた。
「・・・ご馳走様でした。」
この人参たち、規格外商品ということで売り物にならないのだ。
カタチが悪い、少し割れている、少し傷がある、
大きすぎる、小さすぎる、などなど・・・。
しかし、味や品質にまったく問題はない。
まことにモッタイナイ話しである。
最近、規格外商品を販売するスーパーもあるようだが、
捨てられてしまう農産物が流通することができたら
日本の自給率はもう少しアップすることだろう。
しかし、生産過多になれば市場価格にも影響してしまい、
農家の収益を圧迫することになるわけだ。
これらを利用する方法はまだまだあるのではないだろうか・・・。
人間にとって一番大切な食について
いろいろと空想している・・・。
しかしながら、現実と理想とのギャップを埋める事は
なかなか困難なことだ。
食のことを本質から考えさせられる素敵な本がある。
「辰巳芳子 食の位置づけ」。
装丁がシンプルで素敵だなあと思い手に取ってみると、
白い質感のある紙に、水色の金平糖が北斗七星のかたちに並んでいて、
人の心を動かす豊かな余白のある装丁だ。
表紙を開くと、カバーデザインの説明がちゃんと明記してある。
>北斗七星を金平糖で表現しました。
>北斗七星は、家族や人々の繁栄を願い、
>古来より揺光という、時を測るエレメントです。
>大きな「ひしゃく」で、いのちを、
>社会を、暮らしを汲み上げる器を表しています。
>金平糖は、時をかけて作られた
>結晶が、かわいく、愛おしく、
>暮らしのほろ甘い「かたち」を感じさせてくれます。
◎アートディレクション/高岡一弥 ◎デザイン/伊藤修一
辰巳芳子先生は冒頭で食すことへの真意に迫っている。
>食すことは、いのちへの敬畏。
>食べものを用意するとは、いのちへの祝福。
>人という分際にありながら、いのちにかかわる、
>食べ心地を自由になしうるとは、
>思い仰げば、身にあまる光栄。
>なぜなのか。
>それは、生命の仕組み、はかりしれぬ御業(みわざ)に
>参与させていただくから。
先生は食といのちの循環について真剣に向きあっている方。
「人はなぜ、食べなければならないか」という
あたりまえ過ぎて、考えたこともないテーマから始まり、
その土地の風土、季節の移り変わるリズムと、
人間の体の代謝生理は密接に関わっていることや、
旬の味の必然性などをわかりやすく伝えてくれている。
「行事食から何を汲みとるべきか」や「風土に即して食べる」では、
食すことへの感謝の気持ちや、地方の風土がつくった
先人達の知恵を守ることの大切さを知ることができる。
そして、料理はものの本質と向き合うことだと仰っている。
>日本人はもともと風土に根ざして、分をわきまえ、慎みのある生活を
>してきたと思います。主食の米にしても、籾殻から藁まで使い切って
>いました。藁で縄を綯い、草履を作り、くたくたになった草履さえも
>堆肥として畑にまいていた。米ぬかはぬか床にしたり、野菜のアクを
>抜いたり、下ごしらえに使ったり、洗いものに使ったり。すべて無駄
>なく使い尽くしていました。合理的で、ものの「循環」と「均衡」を
>大切にする生活態度だったと思います。
捨てられる運命だった人参は、
まことに美味しくいただくことができた。
辰巳先生がいう循環と均衡を考えると、
無駄のない生活が少しずつではあるが理解することができる。
捨てられる野菜たちの生きる道を真剣に
模索して行きたいと思っている。
→辰巳芳子オフィシャルサイト
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Trackback(0) Comments(7) by Yasumine|2008-11-19 21:09
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