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彩光 第1巻第1号創刊号〜第2巻第5号(雑誌)

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介山文学の味(評論)
駒井能登守に就いて(評論)
梟のうた(詩)
海浜にて(随筆)
彩光 第1巻第1号創刊号〜第2巻第5号(雑誌)
寺島柾史・白木陸郎 著

彩光社 発行
昭和27年3月1日(1952)〜昭和28年5月1日(1953)15冊揃・初版

※写真は昭和27年3月1日〜昭和28年5月1日(全15冊揃)初版/¥5(定価)
●購入先/三松堂書店(名古屋市)代金¥0(「大菩薩峠」各巻に挟まれていた)
●A5判・1色・新聞のようなもの・本文8頁・創刊のみ4頁(寺島柾史作は下記の通り)第1巻1号(介山文学の味)/第1巻3号(駒井能登守に就いて)/第1巻5号(梟のうた)/第1巻8号(海浜にて)(「梟のうた」のみ白木陸郎の名前を使用している)

所蔵確認/なし(稀少)



本誌は、「大菩薩峠」全20巻(彩光社)を購入した際に、各巻に挟み込まれていた雑誌である。梁取三義氏が主宰していた「彩光」は「大菩薩峠」発行とともに月報がわりに挿入した小冊子らしく、牧村真澄、中里幸作、野瀬市郎などが筆を執っていた。梁取氏自らも代表作である「二等兵物語」を連載している。梁取氏は、南会津出身で新聞・雑誌の記者を経て作家になった。映画化された長篇小説「二等兵物語」全10巻を始め、「七転び人生」「伊奈川のほとり」「石川啄木・上下巻」など多くの著作があり、映画シナリオの執筆や作詞活動なども行っている。また、「日本酒大事典」「日本酒入門」を出版するなど、元日本酒の会会長で、地酒普及活動の先駆者といわれるほどの人物である。



本誌は、彩光社に席を置く梁取氏によって昭和27年3月(1952)創刊された。昭和26年11月(1951)に倒れた柾史が療養先の室蘭へ帰って間もなくのことである。柾史は、第1巻第1号(創刊号)で「介山文学の味」を書いている。惜しくも絶筆となってしまった第1巻第3号の「駒井能登守に就いて」を最後に、柾史は永遠に筆を置くことになるのである。第1巻第5号に白木陸郎の名前で掲載された「梟のうた」(173頁に全文紹介)と第1巻第8号に掲載された「海浜にて」は、長男寺島順一郎氏が遺作整理中にいくつか彩光社へ送ったものだと考えられる。第1巻第4号の「消息」という欄に『寺島順一郎氏、寺島柾史亡き後、柾史氏の遺作の整理中の由、近く遺作集刊行の予定。』とあるが、遺作集が刊行された事実は無い。本誌の表4にある「消息」と「編輯部から」のいくつかの記事を紹介しておこう。『寺島柾史氏、昨年十二月脳溢血で倒れ、郷里北海道にかへり静養中、経過は良好で、初夏の頃までには再起出来る由。(第1巻第1号)』『寺島柾史追悼会四月十四日(火)大菩薩峠編纂責任者である寺島氏が、昨年北海道室蘭で淋しく逝かれて一年、この十日に生前の友人知人が東京で追悼会を開く。発起人、仲木貞一、中里幸作、萱原宏一、野瀬市郎、田村譲次、穂積驚、梁取三義、場所、神保町西神田倶楽部、午後二時より(第2巻第4号)』などがあげられる。



また、野瀬市郎氏が柾史の死を惜しみ、思い出話を度々寄稿している。野瀬氏は戦前から柾史と交友があり、史話会のメンバーとして先に紹介した「維新回天の礎」の中で「北越戦争と河井繼之助」を執筆している。優しい詩人であったことが想像できる。第1巻9号では、「我や先、人や先(寺島さんの思い出のうち)」と題して、國本社時代の柾史や、日本新聞に連載した小説「鹿鳴館時代」などを回想している。そして、「隣人之友」の座談会で初めて出会った時の介山居士と柾史のやりとりも鮮明に書いている。また、第2巻第1号では「ひと昔の記(寺島さんの思い出のうち)」の中で、脳溢血で倒れた後、右手が不自由になった柾史からの手紙のこと、年間に10冊以上の単行本を書き下ろした時期のことなどを書いている。そして、第2巻第5号の「馬琴を読んだか(寺島柾史の追悼会に寄せて)」によると、幸田露伴を訪ねた若き日の柾史に向かって開口一番、「おめえ、馬琴を読んだか」とあびせた露伴。敬愛する馬琴文学を熱く延々と語ったらしい。柾史が露伴の話が出る度に江戸っ子特有の口調を真似して、「おめえ、馬琴を読んだか」と言って笑っていたことを懐かしむ内容となっている。第1巻第8号に掲載された柾史の随筆「海浜にて」は、九十九里の真亀という漁村で、病児とひと夏暮らした日々を描いている。遥々訪ねて来た友人は、青山義雄(画家)、岡田三郎(作家)、斎藤芳也(彫刻家)などで、野瀬市郎氏をはじめ素晴らしい友人が柾史を支えていてくれたことを誇りに思う次第である。

「小説 中里介山〜大菩薩峠の世界〜」 著者/梁取 三義(やなとり さんぎ)、発行元/光和堂、発行/昭和62年11月25日(1987)初版、定価¥1,800
※巻末に柾史が編集した中里介山「著作年表」が掲載された。



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» Tags:昭和27年, 昭和28年, 雑誌, 評論, , 随筆, 彩光社, 彩光,

Trackback(0) Comments(2) by Yasumine|2009-09-16 13:01

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