「樺太半島説」─林子平と本多利明─(史話)
歴史公論 9月号 第6巻第11號(雑誌)
寺島柾史 著
雄山閣 発行
昭和12年9月1日(1937)
※写真は昭和12年9月1日初版/¥0.50(定価)
●購入先/永福堂(千葉県九十九里町) 代金¥2,180(送料・税込)
●A5判・並製本・本文148頁(46〜50頁が寺島柾史作)
所蔵確認/なし(稀少)
啓文社発行の「日本科學發達史」でも取りあげた「樺太の半島孤島両説」と同様のテーマを書き直し掲載したもの。松平定信の頃、日本には北方圏の確かな地図が存在しなかった。想像の地樺太は半島か孤島かで議論になった時代がある。大石逸平は樺太孤島説を、林子平はすでに樺太半島説を力説していた。日露外交が北方未開の地をめぐって怪しくなった幕府は、本田利明に命じ極秘に北方探検を試みる。しかし、本田利明の業績は定信の思惑で表に出ることがなかった。露国が軍備を備えた半島であることは、蝦夷地の軍備や日露外交上都合が悪いと考えたからだった。さらに定信は「海國兵談」を刊行した子平を「過激で治安に害がある」という理由で幽閉したという。柾史は、これらの秘密主義の外交政策によって探検家までもが、その発見や記録を封印しなければならなかった事実を痛烈に批判している。出版元の「雄山閣」は大正5年(1916)に初代長坂金雄が国史講習会を組織し、国史講習録や国史界を刊行、大正9年(1920)に雄山閣と改称し、平成18年(2006)に90周年を迎えた老舗である。
» Tags:昭和12年, 雄山閣, 歴史公論, 樺太半島説, 林子平, 本多利明, 史話, 雑誌,
Trackback(0) Comments(0) by Yasumine|2008-07-06 12:12
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