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[ゆたりやの亭主] 記事数:256

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愛情一本(12)

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     1978年 CHAKI(チャキ)
     PICK GUITAR(ピックギター) P-70



     ブルースの話になると長くなるので
     ここでは語ることはできないけれど、
     僕にとってブルースは、とてもセクスィーな音楽なのだ。

     何故か、ブルースはバロック音楽にも共通点を感じる。
     音楽理論とは無縁の僕にはうまく説明はできないのだが・・・。
     ある種のワンパターンな音階と絡み合うグルーブや、
     ツボにハマる、何とも気持ちの良い対位法的なポリフォニーが
     実にセクスィーに僕の脳と体を震わせるからだ。

     また、世界の民族音楽も、僕にとってはブルースなのだ。
     流行歌や商業音楽には感じられない、
     民衆から生まれた「心の叫び」を感じるからなのかもしれない。



     日本で本格的なブルースやソウルを聴けるようになったのは、
     70年代前半に関西で起こったムーブメントだった。

     憂歌団やウエストロード・ブルースバンド、ブルースハウス、
     Cちゃん・ブラザーズ、ソー・バッド・レビュー、めんたんぴん、
     上田正樹とサウス・トゥ・サウス、など、ブルースやソウルを
     演奏するバンドが関西のライヴハウスを中心に自然発生したわけだ。

     どうしてか、関西弁はブルースやソウルによく馴染む。
     例えば、『I LOVE YOU BABY』なら
     『すっきやでーBABY』てな感じで『カッコえーねん』。

     なかでも、憂歌団は刺激的だった。
     BIG BILL BROONZYやLONNIE JOHNSONなどの
     影響を受けている憂歌団は、
     日本語で黒人のアコースティック・ブルースを
     伝えれくれた異色のグループだった。
     その頃に、アコースティック・ブルースの
     レコードは聴いたことはあったが、
     音源が古く録音が悪かったため、
     あまり感動がなかったと記憶している。
     だから、憂歌団を聴いた時には木村のヴォーカルはもちろん、
     リアルな内田勘太郎のギターの音やテクニックに
     完全に痺れてしまったわけだ。



     今日の愛情一本は、憂歌団の内田勘太郎が愛用していた
     1978年か79年製のチャキのピックギター(P-70)。
     30年前にレコード店でアルバイトしたお金で
     やっと手に入れた労働力の結晶。
     コテコテのアコースィックバンドにホーンセクションを加え、
     このギターを使って、憂歌団を演奏していた時期があった。



     ピックガードは外してしまい、ペグも交換しているが、
     実にブルースな枯れた音で鳴いてくれる。
     当時のチャキは、職人不足だったのか、
     入荷にかなり時間がかかったことを覚えている。
     そのせいか、ネックとブリッジのバランスを調整するのに苦労した。
     どちらかというと、乱暴に弾き倒すタイプのギターかもしれない。
     内田勘太郎の音にほんの少しだけ近づいた
     気持ち!にさせてくれるギターなのだ。




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» Tags:Chaki, チャキ, Acoustic, 1978,

Trackback(0) Comments(0) by Yasumine|2008-10-05 13:01

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