世の中から看板と電柱が消えたらどんなにスッキリすることだろう。
そんなエゴイスティックなことを昔から思っている。
どこの街へ訪れても、チェーン店の看板で埋め尽くされた街道。
ここはどこ?僕はいまどこにいるの?と思ってしまうくらい、
コピー&ペーストの地方都市の風景は薄っぺらなものになっている。
建築や看板は文化であり、景観の大切な一部であるはず。
その土地の風土を考えて作る必要があると思うのだ。
デザインの仕事をしていると看板の仕事を受注することもある。
でも、目立てば良いとされる看板は景観破壊を伴い、
企業イメージを損なうのではないのかと考えている。
どぎつい色使い、派手なネオン、大きく太くの文字・・・。
我らが一番大きくて目立つと威張っている。
そんな企業が良い会社といえるのだろうか?
自信を持って良いものを、良いサービスを売っているのなら、
そんな看板を立てなくても良いのではないのか?
目立つ看板だからこそ美意識が必要なのではないのか。
どこに立てるか、どんなロケーションに立てるのかによって
看板のデザインは変える必要があるのではないのか・・・?
何年か前に五色沼(福島県)を訪れた時、
街の看板や建物が焦げ茶色で統一されていた。
JPやコンビニのように、
コーポレートカラーなどのCI規程が厳格な企業も
この街では焦げ茶色なんだと感激したことがある。
こういうところを意識した企業は好感度も高い・・・。
五色沼周辺では自治体で看板や建物の規制を定めることで
美意識のない看板や建物による景観破壊から
自然を守るというこころが伝わって来た。
僕たちは色が茶色くたって、郵便局やコンビニを
見分けることぐらいでるのだ。
現在、地方都市は、シャッター通りといわれるように
閉店した店や空きビルが増加し悲惨な状況が続いている。
最近、そういった店舗やビルのシャッターや窓に
不動産会社の看板がやたら目につくようになった。
誰が見ても空き店舗や空きビルは一目で理解できるのに
あえて美意識の無い看板をベタベタ張る必要性があるのだろうか?
この看板の存在こそが地方都市の景観を
更に淋しいものにしていることが
不動産会社は理解できないのだろうか・・・。
どうせ看板をつけるなら、街が元気になるデザインに
するべきではなかろうか?
こういった景観破壊の看板は企業の品格につながり、
私たちの会社は下品ですとレッテルを貼っているようなものなのだ。
そういう企業を我々生活者は注意して見ておく必要がある。
最近、会社の前に不動産会社の看板が立てられた。
派手でドギツイ色で、よりによって一番見たくない最悪の看板だ。
隣に建設されたアパートの入居募集看板なのだが、
まるで、我が方の社屋が売りに出ているように見えるので、
不動産会社に電話して立てる場所を変えて欲しいとお願いしたが、
自分の土地で自由に看板を立てて何が悪いという感じで断られた。
自分の土地だから何をしても良いというのは
あまりに一方的な話ではなかろうか?
看板はいろいろなサインを送っている大切な広告だが、
周りの迷惑になっても構わないというのは、
看板を立てる企業の倫理観に大きな問題があると
言わざるを得ない・・・。
泣き寝入りの我が方の社屋は
今日も相変わらず、売りにでているのだ・・・。
※写真は石岡市内の古い街並でみつけた情緒ある看板。
控えめで街並に溶け込んでいても主張を忘れない
こんな美しい看板もたくさんあるのだ。
» Tags:看板, 景観, 破壊, 風土, 環境, デザイン,
Trackback(0) Comments(10) by Yasumine|2008-11-25 09:09
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