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[ゆたりやの亭主] 記事数:256

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地震雷火事おやっ?

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     昨日15時13分ごろ
     震度4の地震があった。
     震源地は茨城県南部で、規模はマグニチュード 4.5
     震源の深さは50kmだった。
     19時30分には大雨洪水警報及び、
     雷注意報がほぼ茨城県全域に・・・。
     今日で3連日。
     夕方になると雷雨で仕事も中断。



     地震〜雷といえば、火事〜親父ということになるが
     最近の親父というものは怖くないらしい。
     いつから親父は怖くなくなったのか?

     僕の父は昭和一桁産まれ。
     とても静かな人だったが、しごく恐かった。
     父親の威厳というものがあった。
     頑固で自分の哲学があった。
     無口で仕事のことも自分の事も
     殆ど話すことはなかった。

     痛みや精神面でも我慢強かった。
     手をあげる人ではなかったが、
     悪さをするとよく廊下を引きずられ外に放り出された。

     旅行好きで、家族を連れていろんなところへ出かけた。
     大怪我をして血だらけになっても
     迎えには来てくれなかった。
     学校の行事には一切参加しなかった。
     スポーツ万能で、バレーボール、卓球、
     バドミントン、テニス、ゴルフと
     会社のスポーツ大会で活躍した。
     いつもキャッチボールや卓球の相手をしてくれた。
     僕が腕を磨き、卓球で父に勝った時も
     キャッチボールで球が速くなった時も
     小さな声で褒めてくれた。・・・嬉しかった。

     父はモーツアルトが好きだった。
     お前の演っているのは音楽ではないと言われた。
     女性の友達から電話がかかって来ると無言で切られた。
     ピアノを弾く妹にはやたら優しかった。

     外泊は絶対禁止だった。
     僕のやること全てを否定された。
     多感な時代、険悪な関係が続いた。
     父に反抗し・・・家出した。

     父に心配させてしまった。

     それからというもの、父はあきらめたのか
     少しだけ認めてくれるようになった。
     しごく嬉しかった・・・。

     年を重ね、父と僕は男同士の話しができるようになった。
     しかしそれは束の間の会話だった。
     父は59歳でこの世を去った。
     父と男同士の話しが出来たのは
     人生のなかで何時間あったのだろう・・・。
     もう少し話していたかった。

     あれから16年以上が過ぎた。
     僕は一日だって父の事を思い出さない日はない。
     父はやはり恐い存在の方が良いと思った。

     最近、父に似て来たな・・・と思う時が多くなった。



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» Tags:父親, 地震雷火事親父,

Trackback(0) Comments(2) by Yasumine|2008-08-21 23:11

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