僕は珈琲党。
多い時で一日に10杯は飲むだろうか・・・。
朝食後に目覚めの1杯。
出社すると気合いの1杯。
お客様と打合わせで1杯。
社内会議でまたまた1杯。
昼食の後は決まって1杯。
出かけるとクルマの中で1杯。
訪問先でも1杯。
会社に帰ると1杯。
来客があるたびにまた1杯。
夕食後にまたまた1杯。
こんなんで10杯は飲んでしまう。
それでも、毎日美味しくコーヒーをいただける。
「お茶にすれば」とサッさんにいわれるが
お茶だとモノ足りない・・・。
珈琲は人生のもうひとつの伴侶だから。
そういえば、上海に行った時に
百貨店でネスカフェが売っていた。
中国では「雀巣珈琲」と云うのだが、
ネッスルのマークが鳥の巣だから?
そのまんまやんか?と笑っていたら、
一緒に並んでいる「クリープ」を
「珈琲伴侶」と書くのには大笑いした。
記憶を辿ると僕が珈琲を飲み始めたのは
小学校6年の冬だった。
中学受験という環境の中、
無性に背伸びがしたくなった結果、
珈琲(ネスカフェ)をいただくようになった。
・・・この頃からマセガキ症は治っていない。
中学時代はラジオの深夜放送を
朝まで聴くために珈琲を飲んだ。
高校に入学すると登校前の喫茶店で珈琲を注文した。
ダッチ、壱番館、東亜、などの珈琲専門店が全盛期で
新しい喫茶店がオープンすると必ず出かけた。
一杯の珈琲で3時間も粘っていると店の人と仲良くなる。
もう一杯サービスしてくれたり、
ミスオーダーをいただいたりした。
学校帰りの喫茶店は世代を超えた
コミュニケーションの場だった。
昼飯代は珈琲に化けたり先輩にご馳走になったり
珈琲を囲む時間は日々の愉しみだった。
高校を卒業すると東京のアンセーニュや
レジュグルニエ、ブンナという3店舗の喫茶店で
ニレという豆の濃厚な珈琲にシビレてしまい。
珈琲の好味に目覚めてしまう。
水戸にも「トロワシャンブル」という店が
ニレを扱っているが、3つの部屋という意味には
東京の3店舗が込められているのではなかろうか。
会社の豆は予算縮小のため、
やむをえず安物を飲んでいる。
しかし、この安物も入れる人や諸条件によって
味が変わるのが愉しい。
同じ豆なのに美味しい日とまずい日があるのだ。
珈琲はデリケートでメンタルな飲み物なのだ。
ちなみに、僕はへたくそなので飲むの専門が向いている・・・。
Trackback(0) Comments(9) by Yasumine|2008-08-06 09:09
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