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「ほまれの進水式」(伝記)

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「ほまれの進水式」(伝記)
講談倶楽部・五月號
〜佐雙佐中のはなし〜日本科學者列傳(雑誌)
寺島柾史 著

大日本雄辯會講談社 発行
昭和17年5月1日(1942)

※写真は昭和17年4月10日初版/¥0.60(定価)
●購入先/伊東古本店(名古屋市) 代金¥3,110(送料・税込)
●四六判・並製本・本文242頁(112〜118頁が寺島柾史作)
●松野一夫による挿絵が3枚挿入されている。

所蔵確認/なし



「ほまれの進水式〜佐雙佐中のはなし〜」とあるが、佐雙左仲が正しいのだろうか。本作品は、後の昭和17年7月20日(1942)文松堂から発行の単行本「日本科學者物語」に掲載されている。また、同年2月1日には大日本青少年団本部発行の「青年」2月号に「ほまれの軍艦設計」という作品が掲載されているらしいが、同一作品の可能性も高い。佐雙左仲は、加賀藩士堀尾治郎兵衛の六男として金沢に生まれ、16歳で佐雙久左衛門の養子となる。明治2年(1869)海軍兵学寮に入学し、明治3年(1870)英国に派遣されるが、英国の造船技術にショックを受け、翌年には造船学専攻の海軍留学生となった。明治11年(1878)日本政府が英国に発注した軍艦「扶桑」にて帰国した佐雙は、明治16年(1883)、長年の努力により軍艦「浪速」「高千穂」など、日本人による初めての軍艦造船を実現した。その後、海軍造船総監、海軍省艦攻本部長などを歴任し、海軍の充実や軍艦の建造に寄与した。






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» Tags:昭和17年, 伝記, 雑誌, 講談倶楽部, 大日本雄辯會講談社,

Trackback(0) Comments(0) by Yasumine|2008-12-10 11:11

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