電話というものが家にやってきたのは
僕が小学校5年生の頃だったろうか。
それまでは、近所に1台程度しか電話は存在しなかった。
だから、緊急を要する時にしか使うことがなかった。
電話がやって来た頃は、
電話に出るのも怖かったのを憶えている。
話しをしてもなんだかしっくりこなかった・・・。
顔が見えない人と話すのが慣れるまでに
相応の時間がかかった。
20歳代前半もアパートには
6年間、電話が無かった。
緊急の際は、大家さんの電話か仕事場で充分だったし、
何の不自由も感じなかった。
会社でも、僕の部屋の電話だけは鳴らない。
呼鈴の音が嫌なのだ・・・。
(昔の電話はもっと優しい音だったような・・・気のせい?)
それだけではない
考え事をしている時や、食事をしている時に、
あるいは、読書している時、音楽を聴いている時
映画を見ている時、眠っている時、風呂に入っている時・・・。
電話は、いかなる状況にも関わらず
土足でプライベートに入り込んで来る。
だから、電話をかけるのも嫌いだ。
仕事ならいざしらず、
相手がどのような状況か、どのような精神状態か知らずに
一方的に突然電話をかけるということは勇気がいる。
ましてや、現代はケータイが当たり前。
トイレの中だろうが、運転中だろうが、会議中だろうが
どんな時でもかかって来る。
もちろん、電源を切っておくことが多くなる。
会議中に平気で中座して電話をしている人の気持ちが
いまだに僕には理解できないのだ・・・。
(昔は家族が会社に電話をかけるのは緊急時だけだった。)
そして、会議だろうが、接客中だろうが関わらず
『なんで出れないんだ、1分で済むから呼び出せ!』という
方々の気持ちもご理解に苦しむ・・・。
世の中、こんなに便利になったのに
それでも、更に急ぐのか?
しかも、最近はケータイが命の次に大切だという。
すぐに出る、すぐに返信しないと友達を無くすという?
そんなことで、友情にヒビがはいるなら、
そんなもの友達でも何でもないと思うのだが・・・。
そんなわけで僕のケータイには、
ほとんどかけてくる人はいない。
そのケータイがいま危機的状況なのだ。
それは、僕のケータイ「MOVA」だ。
最近、docomoから封書が届いていた。
2012年までにMOVAのサービスが停止するそうだ。
停止?ということはこの機種が使えなくなるということ。
先日もお客さんにその話しをしたら
『まだ、「MOVA」って存在するんですか???』と
驚かれたばかりだ・・・。
最近は愛着もあり、デザインも気に入っている。
アンテナも付いているオールドタイプなのだ。
若い人が見ると、小さくて可愛いという。
それなのに、一方的にサービスを停止するとは
なんて勝手なのだろう。
壊れたわけではないし、
まだまだ、充分使えるケータイなのに・・・。
ケータイのみならず、
多数派の一方的な取り決めに振り回される庶民は
少なくはないはず。
これまでにもさまざまなモノが多数派によって消滅し
少数派はその度に悲しい思いをする。
これは宿命なのだろうか・・・。
» Tags:ケータイ, 電話, サービス, モノ, 好き嫌い, 停止,
Trackback(0) Comments(6) by Yasumine|2009-06-09 16:04
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