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[ことのべ通信・電子版] 記事数:22

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ことのべ通信vol.2 「命日」に思う

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命の日。
命の尽きた日のことを命日と呼ぶ、不思議。
忌日という言葉もあるそうで、意味としてはこちらの方がしっくりくるように思うけれど、耳にしたことはありません。
今日は、私の父の命日です。

父が癌で亡くなったのは、三女が生まれた二日後でした。
二日間だけ、二人の命の時間は重なっています。
二人は生きて顔を合わせることはなかったけれど、父は三女誕生の報せを聞いて安心していたそうですし、私は父が骨になる前に、三女の命名を報告し、彼女を抱いていた手指で父の髪をすすぐことができました。
父がいない時間を生きてみて、命を繋ぐことの尊さ、私のいない時間を生きるかもしれない娘たちの存在の愛おしさを、その時間が延びるほどに強く感じています。

末期癌の宣告を受けて4ヶ月で死んでいった父の、その間の生き死にの様は、多くの示唆、思索の糧を私に与えてくれました。
それらが、誕生学アドバイザーとなって、「言延べる」ことを志した直接の動機でもありました。

私にとって10月18日は、父の命日であると同時に、「命の日」なのです。


写真は、県内のとある高校で生徒たちに抱っこされる三女。生まれて2ヵ月の彼女を大切にそうっと抱っこする生徒たちの笑顔が素敵でした。子育てと性を考える授業で、一人の母親として伺った私は父の死についても語りました。まだ誕生学アドバイザーを志してもいなかったけれど、思えば、この日が「ことのべ」デビューだったような気がします。

Trackback(0) Comments(4) by ひつじ|2010-10-18 22:10

▽コメント▽
Commented by sora 10/19 17:56

いつか確実に来るだろう「その日」目頭がじーんと熱くなりました。
子供が出来て、自分の「その時」も考えるようになりました。
「親の死」これが最後に子供に教える教育・・・まだまだわたしには深すぎてわかりません。

Commented by ひつじ 10/19 22:50

>soraさま
コメントありがとうございます。
そうそう、確かに子どもができると、「その日」を考え始めますよね。始まりに触れることで、終わりの存在が想起させられるのでしょうか。

自分に「その日」が来るのだということが、父の死を目の当たりにして、ようやく理屈よりは深いところで分かったような気がしました。でも、本当に腹の底で受け入れられるようになるのは、もっと先、いまわの際なのかもしれません。さて、どこまで深い悟りなのでしょう。

Commented by yasumine 10/20 14:07

僕の父は僕の妹の最初の娘が生まれた
翌月に突然亡くなりました・・・。

妹は埼玉に住んでいたので
父は初めての孫の顔を見にでかけました。
さぞ嬉しかったことでしょう。
父は孫に2回しか会うことができませんでした。
父が亡くなったのは2度目の孫との面会の
翌日だったのです・・・。

日本人は死を受け入れて生きていないと
誰かが言っていました・・・。
人生の楽しみ方という意味で・・・。

死を知ることは
生きるを知ることだから・・・。
もっと、死を考えれば命をもっと
燃やすことができるのにと思います。

誰もが、身近な人達の死に直面し、
命の大切さ素晴らしさを知るんですね。

Commented by ひつじ 10/20 22:12

>yasumineさま
コメントありがとうございます。
お父様のお話をうかがって、やはり孫というのは、命が未来へと繋がっていく可能性を目の当たりにさせてくれる、代え難い存在なのだということを感じました。
私の父は6人の孫と対面し、7人目に見送られ、8人目も天から見守っているでしょう。現代においては実に幸せなおじいちゃんだと思います。

日本人はもともと生死を柔らかく平たく受けとめる感性を持っていたのではないかと思います。
ただ、生も死も畳の上で迎えることが難しくなり、食べる行為が命を育み絶つことと遠ざかっている今の世では、そうした感性を備える機会がないのでしょう。

せめて内なる生命力、命を運ぶ身体の不思議さ、面白さ、尊さを、「いと惜しむ」物語を伝えられたらなぁと思います。

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